「シカゴ育ち」スチュアート・ダイベック まとめ~冬のショパン・下
「雨だれ」の美しい物憂げな雰囲気から、物語はあやうげな美しさを保ったまま劇的な展開を見せます。マーシーが妊娠した子が誰の子供かを言わないため、キュービアック家の雰囲気は悪化します。おそらくはその影響から、マーシーはピアノを弾く時間を深夜に変えてしまいます。音楽によって吹きこまれていたかのようなジャ=ジャの生は、再びゆっくりと光を失い、潰えていきます。
雲にくるまれ、どんより濁った目で座りながら、ジャ=ジャはじわじわと消えていった。(41ページ)
ドイツ軍の兵士
これも唐突に出てくるので良くわからなかったところです。おそらく「冬のショパン」の背景は終戦後、冷戦下ではないでしょうか。そう目星をつけると、社会主義国だった東ドイツに対する不安があったのではないかと推測が立ちます。いろいろググッた結果、
ナチに協力していた科学者やスパイが、大挙してアメリカに上陸する映像がみつかりました。かれらの表情は安堵につつまれています。というのも、彼らはアメリカに協力する条件で戦犯として裁かれることを免れたからです
(第四章 世界は秘密と嘘に覆われた)
という記述もありまして、戦後ドイツに対する社会不安がアメリカにあったのかなあと思います。もっと肌感覚で冷戦を知っている年代であれば、すぐぴんと来るのかもしれないですが…。この小説はベルリンの壁崩壊する前なのかなあ。どうなんだろう。
ノヴィーナ
亡くなった教皇が、神のもとで永遠の安らぎに満たされるよう、教皇の死後9日間にわたってミサを中心としてささげられる祈り。
9という数字「ノーヴェ(Nove)」に由来し、「ノヴェンディアーリ(Novendiali)」と呼ぶ。古代ローマの人たちは、身内の者が亡くなると墓に酒を注ぎ、自分たちも酒を酌み交わして死者を慰め、9日間を過ごしたと言われる。教皇のための9日間の祈りも、この習慣からとられたと思われる。
ノヴェンディアーリが決定的にバチカンの規定になったのは、1562年である。規定によると、コンクラーベが始まる前に、この祈りはすんでいなければならない。
ミサは、1日目は首席枢機卿が主式し、次いで司教枢機卿、最後の3日目は司祭枢機卿が主式する。
カトリックの儀式らしいですね。カトリックは教皇なの…?キリスト教ってひたすらイエス・キリストに祈ってるイメージだったのですが違うみたいです。教皇といえばローマ教皇ですが…??
<追記>疑問に思ったのでもう少し深く調べました。
イエス・キリストは、弟子の中から12人を選び「使徒」としました。そしてペトロに使徒の頭としての特別な使命を委ねました。使徒たちは各地で宣教し、キリストを信じる者たちの共同体、すなわち教会をつくり、自分たちの後継者を定めました。ペトロはローマに行き、教会をつくりました。このペトロの後継者がローマ司教、すなわちローマ教皇です。そして使徒たちの後継者が世界中で働いている司教なのです。
ローマ教皇は全カトリック教会に対して最高の統治権を有する、というのがカトリック教会の伝統的な教えです。現在全世界には司教が責任を有する約2500の教会(教区)があります。司教は自分の任務を助ける司祭(神父)を指名することができます。日本には16の教区があり、17人の現役の司教が働いています。
先ほどの「カトリック中央協議会」様にこういうことが書いてありました。下線部は当ブログが挿入。また、横田キリストの教会、野々垣様のサイトには
カトリックの権威は次のような順番になります。
神>>教会>>聖書>>信者
プロテスタントの権威の順番は次のようになります。
神>>聖書>>教会(信者の集まり)
という説明があり、非常にわかりやすく感じました。中世教皇の政治が腐敗したことで宗教改革が起こり、プロテスタントが出来たことは有名ですよね。 世界史でやったのですが、アメリカ=プロテスタントというイメージが強いので、このへんあやふやでした。確認出来てよかったです。
カトリック信仰をめぐる作品には石川雅之さんの「純潔のマリア」があると思います。多分もっとたくさんあるのでしょうが、私がちゃんと読んだのはこの作品くらい。絵もお話も凄く丁寧で好きです。魔女でありながら処女、その名はマリア、という女の子のお話ですが、中世カトリック教会の腐敗の様子もよく描かれていると思います。青年誌連載でエロい場面もあるので大人向けですね。思い返せば教皇の話も出てきてました。
話がそれました。
旧世界
「旧世界」は「ヨーロッパ/アジア/アフリカ」のこと。アメリカ目線の表現ですね。ちなみに新世界はオーストラリアのことなんだとか。
チェンストホヴァ黒処女
そのままではヒットしませんでしたが、
これのことかと思われます。
ヤスナ・グラ(Jasna Gora)の聖母は、古都クラクフ近郊の聖地チェンストホーヴァのヤスナ・グラ修道院に納められている、イエス・キリストを抱いたマリア像の絵画(イコン)。顔が修道院に火が点けられた時の煤で黒くなっているので、「黒い聖母」の異名があり、一般にはこの呼び名で呼ばれている。
ポーランドの女神像。というかここで、マーシーの母親はボヘミア語話者であることに気づきました。ボヘミアとはどこぞやというわけでググります。
ブリタニカ国際大百科事典きました!祖母の家に全巻あったなあ。これによれば現在のチェコ、もしくはポーランドの一部で使われる言語であるそうです。
そういえばショパンもポーランド出身です。ここが関係していたのか。
一読したときにはわかりませんでした…。
テイタム・キュービアック
行方をくらましたマーシーの捜索に両親すら疲れ果てた頃、彼女から便りが来ます。黒人の子供を産み、名前は有名なジャズピアニストにあやかってテイタムと名付けたということ。テイタム ジャズで検索しました。
アート・テイタム(Art Tatum、1909年10月13日-1956年11月5日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト。視覚障害者でありながら超絶技巧を誇り、様々なジャンルのピアニストに影響を与えた。
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オハイオ州トレド出身。先天的な白内障のため、片目は全盲で、もう片方もわずかな視力しかなかった。幼い頃から様々な楽器を習い、1920年代後半にはプロのピアニストとして活動を開始する。1929年にはラジオ局のハウス・ピアニストとなり、徐々にその名を浸透させていった。
1932年、アデレイド・ホールという歌手の伴奏ピアニストとしてニューヨークに移る。1933年にはピアノ独奏で4曲を録音、この時の演奏は現在では『An Art Tatum Concert』の再発CDに追加収録されている。その後デッカ・レコードとの契約を得て、多くの演奏を残した。
キャリア初期はピアノ独奏が中心だったが、1940年代にはピアノ、ギター、ベースという編成での演奏も多くなる。晩年はベースとドラムを従えた編成でも活動。1956年8月には、ハリウッド・ボウルで1万6千人以上の観客の前で演奏し、9月にはサックス奏者のベン・ウェブスターと共演。同年11月5日、尿毒症のためロサンゼルスで死亡。
これもまた超絶技巧ですね…。
マーシーが残した音楽の名残を主人公は至るところに聴き取り続けます。聞こえるはずのない音楽、残ることがない時間。沈黙は欠落した音楽の証拠として響き続け、多感な彼はそれを受け取りそこねることはない。
濃密な音楽の気配と、冬、人々の生活が一体となって表現される最後の文が私は好きです。
<追記>
「シカゴ育ち」という短編集に収められたこのお話ですが、主軸は明確にチェコです。ボヘミア語圏(おそらくチェコ)からの移民の娘マーシーと、彼女の弾くポーランドの作曲家ショパンの曲が主軸になっています。またジャ=ジャの好きなフランキー・ヤンコビッチさんのポルカはチェコ発祥だということも忘れてはいけません。
また、元々アメリカは移民の国ですので、こういういろんな文化を持った異国の人間が音楽のように当然のように混ざり合っている、ともいえます。
ここまで書いて何気なく「シカゴ 移民」で検索したところ
ピルゼン地区[編集]
シカゴのロウアー・ウェスト・サイド地区(en:Lower West Side, Chicago)は、チェコからの移民によって作られたコミュニティであり、シカゴ近辺の住民からはピルゼン地区(Pilsen)と通称される。ピルゼンとは、チェコの都市プルゼニの英語およびドイツ語名である。しかし1970年代以降、地区の主な住人はメキシコ系へと置き換わっていった
という記述がありもしかしたらここの話なのでは…という気がしました。いずれにせよ綺麗な小説です。異国の人間でもこうやって調べれば、チェコの話なのだな、とわかるところも良いですね。完成度の高さを感じます。
続きはまた。ありがとうございまいた。